会報「鳴り砂」2019年3月号が発行されました

会報「鳴り砂」2-099号(通巻278号)2019.3.20
会報「鳴り砂」2-099号(通巻278号)別冊2019.3.20

(1面論文です)
11万人の思いに背を向け 「県民投票条例案」を否決した宮城県議会
この悔しさを次のステージへ!!

3月15日、宮城県議会本会議において、「女川原発の再稼働の是非をみんなで決める県民投票を実現する会」(みんなで決める会)が提出した県民投票条例案が、賛成21人、反対35人の反対多数で否決された。前日14日には43年ぶりに連合審査会(総務企画委員会と環境生活農林水産委員会の合同審査)が開かれ、5時間にわたって議論されたが、採決の結果は賛成3人、反対6人だった。
 14日は170人、15日も150人の市民が傍聴に駆けつけ、固唾をのんで審議の行方を見守っていたが、本会議での賛成・反対それぞれの2人の討論に対する議論もなく、あっけなく否決されてしまったことにあぜんとすると共に、怒りと悔しさが傍聴席に充満した。
 「みんなで決める会」の多々良代表のコメントは別掲の通りだが、なによりも、「11万人の署名を重く受けとめる」としながら、その実あれやこれやの屁理屈をつけて県民投票をなんとかつぶしにかかった与党議員の姿は、県民の思いとはまったく逆であったことを、私たちの胸に刻まなくてはならない。
 しかし、私たちはこの1年以上にわたる県民投票条例請求運動を通じて、これまでなかった数多くの経験を積み重ね、「受任者」「署名者」という形で原発について議論することにより宮城の民主主義を発展させ、そして県議会始まって以来という260人の傍聴人(3月14日)を生み出すなど、議会と県民の距離をこれまでになく縮めるというかけがえのない成果を生み出してきたことも、また事実である。この財産を生かすも殺すも、これからの私たちの努力にかかっていることを肝に銘じて、さらに再稼働の問題に向き合っていきたい。

【本会議での討論などから】
○そもそも住民投票の意義は?
 
 議会では、「議会での議論に制約がかかる」「盲目的に住民投票に賛意を示すと議員は不要となりかねない」「ポピュリズムの負の側面が表れることも無視できない」と、住民投票そのものに否定的な意見が目立った。これは全く思いもよらないことである。「みんなで決まる会」では当初より、「これは間接民主主義を否定するものではなく、むしろそれを補完するもの」と主張してきた。
住民投票には「負の側面」(あればの話だが)を補って余りある「プラスの側面」がある。
 近くは沖縄がそうであったように、一般に難しいといわれる政治的関心を、他人任せではなく、自分が投票するということを通じて、「わがこと」として考える貴重な機会になるのだ。まさに、憲法第12条 「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない」ことの実現だ。
 与党議員の意見を聞いて痛感するのは、「県民はこんな難しい問題を正しく考えることなんてできない、議員に任せておけばいいのだ」という、県民を愚ろうする姿勢とおごりだ。「ポピュリズム発言」もまさにそこからきている。しかし、これまで再稼働問題のみならず原発の問題に知事や県議会は県民が納得するような議論をし、県民に示してきたのだろうか? そうでないと思う多くの県民がいたからこそ、11万筆もの署名が集まったということの本当の重みを、全く受け止めていない。そのことが、図らずも多くの傍聴者の前であからさまにされたことは、ある意味良かったとも思える。

○福島原発事故をどう受け止めるのか
 
 野党・与党による賛成・反対討論での際立った違いは、福島原発事故へのスタンスだ。そのことについて、与党議員はほとんど触れていない。しかし、そのこと抜きに今回の県民投票条例はあり得ない。
 つまり、「エネルギー政策」「東北電力という民間企業の経済活動」といいながら、現実に未曾有の被害をもたらし、そして8年たった今も多くの住民が苦しんでいる原因をつくったのが、原発事故なのだ。それは福島だけでなく、宮城県でも、たとえば未だに放射性汚染廃棄物の処理に苦しんでいるように、被害を受け続けているのである。「今度大きな事故があれば」という恐怖から、自分たちも投票できるならと署名をした方も少なくない。自らの命と生活を守ろうとすることが、「エネルギー政策」や「民間経済活動」より下位に置かれていいはずがない。原発事故は与党議員の頭のなかでは風化してしまったのだろうか?
 もちろん、「エネルギー政策」そのものも、決して国の専管事項ではないが、今回求めていたのは、「女川原発2号機の再稼働の是非」という極めて地域的・限定的課題に過ぎない。それを「エネルギー政策」をたてにとり反対するのは、全くのお門違いである。

○被災地・立地自治体をだしにするな

 議論の中では、「混乱を招き、東日本大震災の復興がおくれる」「被災自治体の負担が大きい」「原発が立地する女川町、石巻市の声を第一に尊重すべきだ」との意見もあった。しかし、今回の直接署名では、署名者の有権者に対する割合が、女川町が21%、石巻市が6.4%、気仙沼市が10.1%など、被災地や立地自治体の住民の方が県民投票を求めているのが現実である。実際のところ、「立地自治体の負担」が大きいのは、原発からの避難計画の策定と避難訓練だ。そしてそれは、受け入れる仙台市などにも大きな負担になる。また「使用済核燃料」が立地自治体に据え置かれる負担も考えられる。「県民投票による負担」と「再稼働による負担」のどちらが大きいかは明らかではないだろうか。
 何より、なんでも「被災地」をだしにつかって丸め込もうとする姿勢は、名ばかりの「復興五輪」と重なるところがあり、被災地を馬鹿にするなといいたい。

○ためにする「2択問題」

 反対意見が錦の御旗に掲げたのが、「賛成・反対の2択では多様な民意を掬い取れない」という「2択問題」だが、率直にいって全くの欺瞞と言わざるを得ない。なぜなら、物事を行うかどうかは、結局のところ「賛成」か「反対」かに収れんされる以外ないからだ。
 今回求められているのは、「いつ原発をゼロにすべきか」ということなどではなく、目の前に迫った「女川原発2号機の再稼働の是非」という極めて限定された問題である、もちろん、その課題でも意見は多様であるし、また多様であるべきとも思う。その議論をつみ重ね、最後は賛否どちらかに投票するのは、議会での議員の投票行動でも同じではないだろうか? むしろ「党議拘束あるいは忖度」がない県民投票のほうが、より「多様な意見を反映できる」と思うのは、私だけだろうか?
 ただ、沖縄でそうであったように、2択を3択とかにしても条例が成立できれば、次善の策としては有り得る選択だったと思うが、さんざん「2択はだめ」という議員が、結局3択などの修正案をだしてこなかったことは、「2択問題」が言い訳に過ぎないことを示している。

【悔しさを胸に次のステージへ】

 今回、県内の多くの方が受任者として奔走し、予想を超える11万筆の署名が集まったにも関わらず、県議会の大きな壁を越えることができなかったことは、みんな本当に悔しい思いをしていると思う。しかし女川原発2号機の再稼働は目の前に迫っている。
 原子力規制委員会での審査は150回を超え、7月には説明を終えるとしている。仮にそのスケジュールでいけば、県の安全性検討会の進み具合にもよるが、秋から冬にかけて、県知事の判断が求められ、また県議会での意見も求められることになる。一方、この10月ころには県議会の選挙も予定されている。
 こうしたスケジュールをにらみながら、この間関係を築きあげてきた団結力をいかんなく発揮してさらに次のステージに向けて取り組んでいきたい。
 最後に、与党議員の発言には「県民投票をすれば再稼働反対が多数派になる」という怖れが見え隠れしていたことを付け加えておきたい。
(みんなで決める会 舘脇)