(1面です)
「原発動かすな!」の声26年ぶりに女川の街に響きわたる!
~7.7女川現地講演集会・デモが大成功 この力で11月再稼働を止めよう!
7月7日(日)、最高気温32.4℃という猛暑の中、原発立地の地元女川町では1998年以来26年ぶりという歴史的な反原発デモが、女川・石巻の地元の方に加え県内外から集まった350人の参加で勝ち取られた。また、これに先立つ青木美希さんの講演には、当初の予想を大幅に上回る550人が参加。メイン会場の女川町生涯学習センターに入りきれず、急遽主催者が用意したサテライト会場にまわる参加者もいたほどだ。
地元女川・石巻のみなさんの奮闘は勿論、加えて宮城県全体のバックアップで実現した今回の成功を受けて、なんとしても再稼働を止めるんだという思いをさらに高め上げ、9月再稼働を止めるこれまでにない巨大なうねりを作り出していこう。8月25日シンポジウム、そして9月1日の県民集会・デモの大爆発に突き進んでいこう!
●福島原発事故は今なお影を落とし続けている
仙台など県内各地から総計バス7台、また自家用車、電車、さらにバイクでかけつけた参加者が生涯学習センターを埋め尽くすなか、すでに開会前から行われている青木さんのサイン会は長蛇の列だ。参加者のなかには、先に行われたという女川原発現地ツアーに参加した福島・岩手の方や、青森、東京、京都、さらには韓国で原発建設を止める闘いに勝利したという方もいて、まさに女川原発がひとり宮城県の問題ではなく、東北・全国ひいては世界的な課題だということが伝わってくる。
全ての椅子を埋め尽くした会場で、阿部美紀子さんの司会で始まった集会では、冒頭、実行委員長の高野博さんが開会あいさつに立つ。「黙っているわけにはいかない、と4月から準備を進めてきました。今日は七夕。『原発ゼロの社会をつくれますように』と短冊に書きました。能登半島地震以来、原発やエネルギーに対する国民世論は大きく変わりました。ぜひ数百人規模の隊列で、女川を励ましていただきたい」
続いて青木美希さんの講演だ。ベストセラーとなった『なぜ日本は原発を止められないのか?』の著者のお話ということで、参加者は一言も聞き漏らさないぞと耳をそば立てる。また、この日はZoomでも発信しており、盛岡では生協が中心となって視聴会場を設けたということだ。
青木さんは冒頭、福島の今野寿美雄さんのメッセージを紹介した。なぜ今野さんなのかといえば、なにしろあの3.11の時に女川原発に出張で働いていて被災した貴重な体験をしているからだ。今野さんは3月15日に「自己責任」ということでやっと女川から脱出することができたが、その証言から、如何に地震のときに逃げるのが困難なのかがリアルに伝わってくる。
そして当時の福島原発事故の影響だ。例えば3月23日には東京の水道水でヨウ素が検出される、また米軍が80km圏内からの退避を勧告するなどの動きがありつつ、なかなか政府は情報を出さなかった。そうした中で「自主避難」して家族がバラバラになり、辛い思いが募り、自死したお母さんがいたことを紹介した。
そして今。2019年に福島の信夫山での調査が課題となったこどもの親御さんに相談をうけた青木さんは、実際に計ったところ、最大0.34μ㏜/hとまだまだ高いことが分かった。さらに今年4月には元TBSアナウンサーの金平さんと福島原発を視察した時の動画も紹介。最大230μ㏜/hを記録する地点もあった。敷地内だけではない。現在でも、東北はおろか380km離れた山梨県や静岡県でも、出荷制限がかかるほどの放射能汚染が続いている。
●能登半島地震が明らかにしたこと
今年1月1日の能登半島地震による志賀原発の被害の公表、これもまた情報がなかなか出てこなかった。青木さんはフリーとして記者会見で質問しただけではなく、その後復旧したからといってマスコミ向けに現場が公開され、それを取材したときの動画が紹介された。しかし実際の被害状況は分からないようになっていた。その後の取材でも、当初は「亀裂は5ヶ所」といっていたのが「79ヶ所」になったりしていた。
現地で地震の被害を取材した際の動画も上映したが、まさに家が壊れて道路を塞いだ状態では、避難も屋内退避もできないことは一目瞭然だ。また陽圧化施設の外に水やトイレがある、オフサイトセンターに130人が避難する、など、もし志賀原発から放射能が漏れるような事故があったら、大パニックになっていたことが容易に予想されるものだった。 原子力規制庁は1月には「能登半島地震を含めた指針の見直しを議論していきたい」と言っていたのに、その後「指針を見直すことは考えていない」と話が変わっている。
また、避難経路がハザードマップでは浸水箇所だったのが、その後、避難経路が変更されるのではなく、ハザードマップの浸水箇所がいつのまにか変更になるという、本末転倒のことが行われていることも紹介した。
●ジャーナリストとしての矜持に触れた講演、そして歴史的な女川デモ
また、再エネがエネルギーの中心にならないのは、連携線が脆弱であるということがネックになっている。沢山発電できて余っている電力を足りない他の地域に回せないという無駄があること、そして、原発の新増設で電気代が高くなるという「日経」の記事を紹介するなど、豊富な資料で原発の不条理を暴いた。
青木さんは、ところどころに自ら取材した動画を折り込み、また様々な人を直接取材するといった「生」の声を大事にして、それを自らの言葉として語ることで、非常に説得力をもった講演となった。参加した人からも「もっと話が聞きたかった」との声も多かった。
集会では、続いて女川原発再稼働差止訴訟原告団長の原伸雄さんが挨拶にたち、最後に「東北電力に女川原発2号機の廃炉を求めます。主権者は私たちです。私たちが多数派になれば、原発ゼロの社会を実現することが可能です。希望をもって頑張りましょう」とする集会決議を採択して、デモに移る。
デモでは、様々なのぼり旗やプラカードをもった多くの老若男女が、「きれいな海を未来につなごう」と、震災で大きく変貌した女川の駅前周辺で、原発まで届けとばかりに声を張り上げた。時折観光客ともすれ違うなか、道行く車からガッツポーズで応えてくれる人もおり、なかなか表だって声を出しにくい女川の人を励ます行動となった。
●55の市民団体が連名で宮城県と東北電力に要望書・質問書を提出
7月7日の女川集会に先立つ6月17日、「みやぎアクション」など55の市民団体の代表者が、再稼働の中止を求める要請書を県に提出するとともに、東北電力に対し質問書を提出した。
県への要望書の内容は、【1】能登半島地震で「避難計画は全面崩壊した」と指摘されており、道路施設の被害発生を考慮したまともな避難計画に改めること、住民の被ばくを検証する取り組みを求める 【2】使用済燃料の乾式貯蔵施設の設置計画について、住民説明会を各地で開催すること 【3】専門家を集めて、県独自の「安全性検討会」(仮称)を再設置し、能登半島地震で不備が明らかになった海域活断層の調査と地震対策の再評価を求める、の3つだが、まさに能登半島地震をうけて多くの県民が不安に感じ、さらに乾式貯蔵計画が何を女川町民そして宮城県民にもたらすのかが曖昧にされているなかで、タイムリーなものとなった。
東北電力への質問は上記の【1】【2】が中心のもので、7月12日に回答交渉が行われた。いったん立ち止まって海域活断層の評価や安全対策の不備と向き合い、「全面崩壊」している避難計画の見直しを待つよう求めたのに対し、東北電力は「規制委員会から了承を得た」とし、また避難計画の不備についても見切り発車で再稼働させる考えを示した。マスコミをシャットアウトした上で、なんとしても9月再稼働を実現させる、そのためには不備や課題があったとしても言質をとられまいとする安全無視の姿勢が際立つものだった。使用済み核燃料の乾式貯蔵施設設置に関する住民説明会開催の要請にも否定的だった。しかし、再稼働スケジュールが予定通り進むとは思えず、今後もしつこく追及し続けなればならない。
この間は、この他にも県議会で再稼働問題を追及する「県議の会」の奮闘や、6月30日の「さよなら!志賀原発 全国集会in金沢」での原告団日野さんの発言、6月21日原子力市民委員会オンライントーク「原発ゼロ社会への道」2024での多々良さんの講演など、様々な形で再稼働反対を訴えてきたが、闘いはまさにこれからだ。
東北電力の樋口社長は、6月26日の株主総会後、女川2号機について「シーケンス訓練の日程は当初より遅れているものの、予定通り7月の原子炉に核燃料を入れる燃料装荷、9月の再稼働に向けて取り組む」と発言し、7月に入ってからは現地で住民に対し説明を開始するなど、再稼働に向けた具体的な動きを強めている。
この2ヶ月がまさに正念場だ。7月7日の集会での熱気をさらにさらに押し広げ、「こんなに再稼働に反対しているのか」と東北電力を驚かす闘いをともに作り上げていこう。
(舘脇)