女川未来を開く夏の文化祭2024報告

女川未来を開く夏の文化祭2024報告(2024.8.31)

女川未来を開く夏の文化祭2024写真(2024.8.31)

1 一人分の力を持ち寄ること

「女川のまんなか 夏の最終日 みんなのみん
なが交わり広がる 未来をひらく文化の祭り
手作りの祭り言葉や笑顔交わしてぬくもりとか
喜びとか大笑いとか こぢんまりとほっこりと
ぜひごいっしょに」 概ねこのとおりになった。
「こぢんまり」ではなかったところが予想外。
台風の影響で遠方か
ら参加予定だったたくさんの方から、参加で
きないお知らせが届いていたけれど、参加者
およそ200人だった。
当日まで、本当におかげさまだった。グルー
プの会報を郵送するときに同封してくれたと
ころが複数あった。仲間に渡すからとちらし
200枚引き受けてくれた人がいた。地元女川
町と雄勝の新聞折込を提案してくれた実行委
員さん。折込のタイミングを教えてくれた新
聞店さん。女川小学校、女川中学校、女川高
等 学 園 の 児 童 生 徒 職 員 に も 配
布 して も ら った。
女川町の町内会で率先して個々のおうち
に配ってくださった人が大勢。新聞でも取り
上げてもらった。それは取り上げてもらえる
よう声をかけてくれた方のおかげさま。チラ
シを置いてくれたお店もたくさん。まさに、
みんなで未来をひらく営みだった。ありがと
うございました。
「未来をひらく」というと、まるでゴール
を目指しているような感じがするかもしれな
い 。 け れ ど も 、 き っ と ゴール は
な い 。 か と
いって、漂うわけでもない。ゴールで大輪の
花がひらくのではなく、日々あちこちで小さ
な花が咲き、そして種を実らせ、それが芽吹
くイメージ。大きな課題、たくさんの困難があ
る。けれど、たくさんの人が、ひとりひとり
の知恵と大きくない力を合わせ続ける。とき
ど き 集 ま り 、 勇 気 を 分 か ち 合 う 。
そ うす れ
ば、人類はなんとかやっていける。たぶん太
古からそんなふうに歩んできたはずだ。

2 出演・展示報告
ステージ①【竹浦獅子振り】

写真集「女川海物語」(小岩勉 カタツムリ
社 1992年)には、1988年から1991年の女
川が在る。p110-115は「獅子振りの日」。
竹浦の写真。小岩勉さんによる、あとがきの
中から一部を抜粋して紹介したい。
正月の獅子舞に付いて、一日中浜の家々を
まわった。
「女の子はとくにそうだけど、いつかこの浜
を出ていくわけだよ、嫁さんになってさ。そ
んときせめて笛の一本も持って行ってもらお
うって…、遠くにいてもこの浜を忘れないで
ほしいって思ってね」
こどもたちに獅子舞を教えているひとが話し
てくれた。男の子には獅子と太鼓を、女の子
には笛をと、三年前から始めたのだった。
小学生から高校生、さらに、二十代を始め
とするおとなたちが、一緒になって演じ、そ
の周りをもっと小さなこどもたちが駆けまわ
る。だれもが決して無関係ではいられない、
こころ躍るものだった。技術や豪華さ、ある
いは貴重な文化財などというものからいっさ
い離れ、それは、あらゆる世代が存在をたし
か め 合 う た め に 続 け ら れて い る
よ う に 思 え
た。本当の文化とは、こういうものなのかも
しれない、とも。(「女川海物語」(小岩勉
カタツムリ社 1992年)あとがきより抜粋)
2017年の第1回「女川から未来をひらく夏
の文化祭」から毎回オープニングは竹浦獅子
振り。7年前に小さかった子が、おとなと同
じ背丈になっていて、私はほくほくと嬉しい
気持ちになる。私は、竹浦獅子振りのファン
であるとともに、竹浦のみなさんに憧れてい
る。小岩さんが撮影した「獅子振りの日」か
ら30年以上の年月を経て、竹浦獅子振りはま
すますに輝かしい。7年前どころか、30年前
の「小さなこどもたち」が胸張っている姿。
そして、どこか遠い町の部屋の中に大切に在
る笛を思う。
獅子が登場する。満員の席の後ろのほう
に、絵を描くテーブルがある。その下には、
獅子から逃れるちいさい子がお母さんの脚に
つかまっている。去年は獅子を怖れて隠れて
いた人が、今年は席に着いていて、なんと獅
子に噛まれている! ひゃー成長したねぇ!
太鼓と笛、獅子。その現場がここにあると
いうこと。ふるさと。地元。その誇り。誇り
とは、まず感じるもの。教えられるものでは
ない。暮らしと共にあり、奪われないもの。
この輝きは、たぶん竹浦だけのものではな
い 。 どの 集 落 で も 、 どの 国 の
どの 村 に も 、
きっと在る。人の歴史を、大きくいばってい
ない足跡を、私は大切にしていきたいと、今
日もあらためて感じた。演舞の最後は、いち
ばんちいさな女の子の口上だった。さすが、
竹浦。

ステージ②【ぼたもち堂】

ジャグリング「ぼたもち堂」さん。余計な
力が入らないしなやかさ。そのしなやかさゆ
え に 、 い ろ ん な 人 と や わ ら か く
交 わ って い
て、素晴らしいなぁと思う。
ジャグリングは、きっとセンスが大切だと
思う。けれども、それ以上に努力がある。20
年続けていて、この頃できたんですっていう技
を見る。すごいなぁ。お客さんの注目するそ
の表情が、「ぼたもち堂」さんすごさを映し
ている。ああ、私が小さなこどもだった頃、
おじいちゃんおばあちゃんと木下大サーカス
を見に行ったことがあった。テレビではな
く、ここで起きていること! 観るという体
験の大きさを思い出す。

ステージ③【お絵描きつっちー】

「女川から未来をひらく夏の文化祭」実行
委員の齋藤みや子さんのオカリナ演奏から。
オカリナを練習しているということだったの
で、みんなの前でやりましょうと誘った。い
つ も は き は き して い る み や 子 さ ん
な ん だ け
ど、一層輝いていた。誘ってよかった。
「お絵描きつっちー」は、おしゃべりか
ら。獅子振りやジャグリングは、稽古重ねた
うえでのすごいこと。でも、すごいことだけ
のステージじゃなくて、いろんな人が交わる
文化祭にしたい。私は、絵を描くのは大勢の
前で緊張なく気持ちよくできるんだけど、音
楽はいつもドキドキ。いきいきと歌える人に
憧れている。か全部オリジナルなんだけど、
作曲とか作詞とか、そんなほどではない。み
な さ ん も ( こ ん な ん だ っ た ら 、
私 も で き
る)って思ってもらえたらいいな。
「 鍋 布 団 ワ ー ク シ ョ ップ 」 の こ と 、
あ い
コープさんにお知らせしてもらった。お振舞
いのカレー一口どうぞ。お客さんかたくさん
いるって、すごいことだと思った。声援ある
と走り続けるマラソン大会を思い出した。

ステージ④【brother(ふるちゃん
&さんちゃん)】

チラシをもっていろんなところを回った。
するとそれはそれはあちこちで「brother(ふ
るちゃん&さんちゃん)」ファンがたくさんい
て、すごかった! 道の駅で「彼らのファン
な んで す ! 」 と 若 い 女 性 が 目 を
輝 か せ て い
た。雄勝公民館で移動児童館事業でこどもの
みなさんと遊んだとき、私のギターいじって
「さんちゃんとおんなじ音だ」って、文化祭
のこと言っていないのにつぶやく小さい子。
昨日の女川でも「brotherさんにはお世話にな
りました」って聞いて、地域に根ざすってこう
いうことだって学んだ。すごい。
安定のギターデュオ。これまできっといろ
んなリクエストに応じてきたんだろうなぁと
思う。浜の先輩に可愛がられ、若い皆さんに
憧れられている、そんな存在、そんな星。眩
しい。
「アンコール!」という声。「追分温泉」
オリジナル。いい歌。追分温泉と聞いて、ド
キドキした。渋谷修治さんを思った。2022年
に亡くなったことがまだよく理解できていな
い。石巻「鳥の歌」公演でも歌ってもらった
渋 谷 さ ん 。 次 の 世 代 の シ ン カ
ー ソ ン グ ラ イ
ターが雄勝にいるんですよと、機会があった
ら渋谷さんに伝えたい。

ステージ⑤【江島 法印神楽保存会】

江島(えのしま)は、女川町にある島だ。
太平洋の小島だから、女川港からの船で訪れ
るときは、外海のうねりのむこうにある。私
は 、 出 島 ( いず し ま ) を 訪 れ る
途 中 で 船 が
寄ったときの江島しか知らない。一度訪れな
くてはならないと思っている。出島には2024
年12月に橋が掛かる。すると江島は、今まで
以上に太平洋にポツンと小島ってなりそうに
思う。
「江島 法印神楽保存会」の演舞に、説明書
きは用意していない。観客のみなさんは、た
くさんのことを感じ考えて注目する。お面を
被っているから、なおさらに感じ、考える。
言葉は、セリフではない。だから、それも手
掛かりになるけれど、想像力を働かせる。戦
いがあり、そして、お面が置かれる。刀がど
こにどのようになるかに、目を見開く人のな
んと多いことか。お面が目前に来たとき、小
さな子が直視できず、目を落とした。太鼓と
笛が、物語を舞わせる。演舞終えたときの、
ため息前のような静けさがとても印象的だ。
ああ、祈りの現場だったのだ。

ステージ⑥【ミーオカー】

「ミーオカー」は、タイ北部ランナー地方
の楽器と踊りを披露する。神楽の太鼓の空気
から、タイの音に。音は、空気を振るわせて
届く。震わせた空気だらけになる。震わせて
いるのは、耳だけではなく、身体全部だか
ら、その音に私たちは包まれる。金属の音
は、皮の音とは異なる形をしている。みなも
の波紋。水平なみなもではなく、90度回転し
た水直なみなもが揺れる。洞窟の中のよう
な、それでいて閉鎖どころか広がり続ける感
覚に身を置く。
昨年「ミーオカー」に楽器に触れる機会も
作ってもらった。お客さんに気をつけてもら
うことはありませんかと尋ねた。すると「跨
ぐ こ と は し な いで く だ さ い ね 」
と い う お 話
だった。「かみさまがいますから」と明るく
にこやかに。なるほどと思った。それは「か
みさま」でなくても同じかもしれないと気づ
いた。跨いでいいものはなかなかない。尊ぶ
ということ。そして、日常の私はどうだろう
かと省みた。儀式とか形式とかじゃなくて、
尊ぶということ。大切にすること。それは、
大切にされることにつながる。
女川町には、日本語使用者じゃない方々が
暮らしている。水産業に従事する住民。水産
業は、船に乗るだけでなく、加工などもあ
る。インドネシアなどから実習に来ている女
川の住民。数年前から、多言語の町表示につ
いて行政や議会に関わる人に伝えたりしてい
る。小さい町だから、町全部のことを進める
のにはフットワークはきっと軽い。日本語使
用者が他国を訪れたときに日本語表記を見つ
けたら、きっとほっとする。また訪れる気持
ちになるかもしれない。それを女川ですると
い う こ と 。 自 分 の 言 語 が 表 記
さ れて い る 町
は、新しいふるさとになり得る。
「ミーオカー」を、タイの人と一緒に女川
で楽しむことを夢見る。人と人が交わる場を
設けること。そこで人と人が出会い、分かり
合う。発見をする。「ミーオカー」はタイ語
でチャンス・機会があるという意味。ミーオ
カーを広げていきたい。

ステージ⑦【グリーンハート】

チラシでは「グリーンハート」は「仙台在
住の夫婦ユニットです」と書いてあるんだけ
ど、「ファミリーユニット」という認識があ
る。息子さんの存在が大きいのだ。今日の彼
は、始めときはロビーに逃れ、それから席に
戻って聴いていた。2019年「女川から未来を
ひらく夏の文化祭」では、マイクを離さない
ボーカリストだった。成長を感じる。にこに
こと聴いている姿こみこみで「グリーンハー
ト」。
ステージでの夫婦二人の掛け合いも、いい
んだな。あうんの呼吸じゃない、間合いがと
ても幸せ。ステージ以外でもきっとこんな感
じ な の ね と い う 距 離 感 に 、 聞
き 手 は 安 心 し
て、身を委ねることができる。「おむすびこ
ろりん」の歌を今回も聴けて嬉しかった。お
二人言っていたように名曲。
ステージ⑧【やたけたくとうた】
「やたけたくとうた」は、親子ユニット。
ユーモア、冒険、広い世界。それでいて、身近
な日常の中の発見。そんな、リズミカルな空
気 が 漂 う 。 テ ーブル に 、 い ろ ん な
楽 器 が 並
ぶ。鼻笛の二人のやりとりは、音はあるんだ
けどパントマイムを見ているような解放的な集
中を呼ぶ。綿密な台本があるわけじゃない、
もともとの距離感の呼吸具合なんだね。物語
というより、詩な感じ。ああ、大好き。
ギターと歌とパーカッション。「女川小学
校校歌」を聴く。うたさんの声が沁みる。っ
て感じたのは私だけじゃなくて、ハンカチを
使う人がいる。終演後もたくさんの方から
「校歌でこんなに泣くとは」と伝えられた。
人 の 心 を 動 かす こ と が で き る 、
う た さ ん の
歌。歌のうたさん。
「すごく緊張する!」って、出番の前にロ
ビーでスティックでスネアドラムを連打してい
た。「友だちに来てほしいんだけど、来てほ
しくないような気もする、けど来てほしい」
と話していた。さて、ステージに立つと、涼
しげな表情で堂々としていた。たくさんのお
客さんがそれを見守る。昨年もステージを見
た方は(あら、背が伸びたね)と感じたかも
しれない。昨年は、屋外マイクでたくさん呼
び込みアナウンスをしていたけれど、今年は
やらないという。ま、この変化が成長ってや
つね。知っている人、見守る人が、たくさん
いることはありがたいと思う。「この前、文
化祭見たよ。よかったよ」なんて言われるこ
と、きっとあるんじゃないかな。

展示【原発のまち 50年のかお】

女川町は東日本大震災の津波で大きな被害
を受けた。たくさんのものが波にさらわれ
た。仙台で残っていた震災前の写真が見つか
り、これは展示する機会があったらいいと
思った。女川に原発ができる前の写真。原発
建設に反対する町中のみなさんの様子。イン
クジェットプリンターで印刷してラミネーター
で保護した。「女川から未来をひらく夏の文
化祭2017」のときから展示している。展示が
きっかけになり『原発のまち50年のかお:女
川から未来を考える』(阿部美紀子編 一葉
社 2022年)として出版された。
今回も、写真を指さしてしゃべっている方
がたくさんいた。原発がなかったときのこと
を思う想像力は、いつも携えていたと思う。

ワークショップ【なべぶとん】

鍋の布団作りのワークショップ。ガスなど
で加熱した後、それを布団の中で保温し、じ
んわりと保温する調理をするためのお布団
を、縫って作るというワークショップ。あい
コープのみなさんにお手伝いいただいて進め
ることができた。調理室でカレーライスを作
り、多目的室で裁縫をする。できた布団で鍋
を保温して、カレーライスの試食をするとい
うもの。事前にたくさん申し込みがあったけ
れど、当日になって参加者が増えた。大盛況
のワークショップとなった。
嬉しそうに、鍋布団を抱き抱えて、スキップ
で帰る人を見た。いいなぁって思った。作る
の って い い よ ね 。 し か も み ん な
で 縫 う の っ
て、最高だよね。

ワークショップ【石に絵を描く・紙
に絵を描く】

再スタート2年目にあたり、ホールの中で
できることを広げたいと考えた。ステージを
妨げる音を出さなくて、場所を大きく占めな
いもの…で、描画ワークショップを考えた。
た だ 紙 と 画 材 だ け あ って も 、
引 力 が 足 り な
い 。 や り た い 気 持 ち を 喚 起 さ
せる に も 、 音
響・撮影・運営一般をやっている私が描画ファ
シリテーターをすることは難しい。となる
と、魅力ある素材だな。ということで、石。
女川・小乗、雄勝・波板、気仙沼・登米沢海
岸で、少しずついただいた石を準備した。水
彩絵の具ではうまく着色できないから、アク
リル絵の具。でも、周囲を汚す心配があるの
で、ポスカとクレヨンも用意した。
やっぱりだった。やっぱり石の魅力。石の存
在感。触るということ。重さがあるというこ
と。全部ちがうということ。「紙に絵を描
く 」 の は ど こ で す い か? と 、
一 度 尋 ね ら れ
た。同じ場所で紙を用意していた。紙より、
石だった。無心に描けるんだよねと、何人も
の方から聞く。「音楽聴きながらってのもい
いのよ」って。なるほど。
当初は予定していなかったけれど、【桜猫】
の展示、【きらきら発電】の展示もあった。

3 これから

女川町は、原発のある町。小さなこの町に
は「原発がない方がいい」と思う人も「原発
がなくては仕事がどうにもならない」と言う
人もいる。反対・賛成で割り切れない年月
が、長いこと流れているのだと、よそ者の私
は思う。「~派」という言い方で見切ってし
まい、互いに出会えなくなることを、私は望
まない。
この町にこんな分断を持ち込んできたのは
地元の人ではない。ここをふるさととしな
い、巨大な暴力。金をやるとかやらないと
か、仕事をやるとかやらないとか。ピンチも
セットで揺さぶる奴らの横暴。そういうもの
に生活を支えられている地元の人もいるだろ
う。けれど、この町の隣人を敵にし合わない
ためのことを、よそ者の私はなんとかしたい
と思っている。馴れ合いとか和解とか、なん
かそういうのではなく、人の顔をしていて大
丈夫な何かということ。分断に抗するために
は対話しかないから、排除や論破や隔絶では
ない、ちゃんとけんかしたり仲直りしたりで
き る 未 来 を 築 き た い 。 私 は よそ
者 な ん だ け
ど、責任もって活動する。あきらめない。
2014年8月10日は「加藤登紀子トーク&ラ
イブwith小出裕章」(女川町総合体育館)
だった。あの日も台風だった。たくさんの人
が集った。あれから10年になる。
もう2025年「女川から未来をひらく夏の文
化祭」への出演申し込みがあった。ますます
たくさんのひとりひとりがひとり分の花を持
ち寄る、そんな文化祭をつくっていけたらと
思っている。あなたも、ぜひ。
(土屋聡)

女川から未来をひらく夏の文化祭2024
2024年8月31日(土)10:00-16:00
女川町まちなか交流館
宮城県牡鹿郡女川町女川2丁目65番地2
主催:女川から未来をひらく夏の文化祭実行
委員会(代表・阿部美紀子)