≪超速報:1.18東電刑事控訴審判決≫『現実的な可能性』vs『最新の知見』

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≪超速報:1.18東電刑事控訴審判決≫『現実的な可能性』vs『最新の知見』

≪超速報:1.18東電刑事控訴審判決≫
『現実的な可能性』vs『最新の知見』
2023.1.18東京高裁の東電旧経営陣3名に対する無罪との刑事控訴審判決は、判決要旨<1.19岩手日報>を見る限り、裁判官の『科学的常識』の乏しさの表われという印象を強く持ちました。
随所に登場する「現実的な可能性」というキーワードはその象徴で、単なる「可能性」を超えた「予言・予知」を求めるもので、地震予測『長期評価』は「一般に納得できるよう理由を明確に提示しているとは言い難い(一部専門家も異を唱えている)」とか「一般防災にも取り入れられていなかった」という言葉を加えて信頼性を低下させた上で、なぜか「電力供給義務」を過度に強調し(物流を重視して運送車両の整備不良を問わないかの如し)、そのような「漠然とした理由で運転停止はできない」と、万一の事故発生の可能性に対する安全性確保より原発運転を優先(津波対策を先延ばし)させた3名の経営判断・刑事責任を不問にしました。
地震・津波や火山噴火などの(カオス的)自然現象を「事前に予知」することが不可能なことは“現在の科学常識”だと思いますが(それに対して「予知可能」と異を唱える専門家も一部いるとは思いますが)、当該裁判官らは、事実認定において、そのような「予知」が可能だと‘未だに強く信じている(科学への過度の期待)’かのようで、例えば「富士山が今後●ヶ月以内に噴火し、半径●kmの範囲に被害が及ぶ」というような「現実的な可能性」が「予知」されない限り具体的な安全対策は不要、と判断したように思われます。
一方、昨年7.13の東電株主裁判一審判決(民事)は、「原子力発電所を設置、運転する原子力事業者には、最新の科学的、専門技術的知見に基づいて、過酷事故を万が一にも防止すべき社会的ないし公益的義務があることはいうをまたない」(下線筆者)という伊方最高裁判決を引いて、旧経営陣4名の損害賠償責任を認めています。
このように、そもそも原発事業者には、運転開始・電力供給に先立ち、万一の事故発生を防ぐ「社会的ないし公益的義務」が第一義的に課されているのであり(電力供給義務は原発に依らなくても果たせるのです)、それゆえ常に「最新の科学的、専門技術的知見」に基づく安全対策・不断の安全性向上が求められているのです。
ところが今回の判決は、「最新の知見」を一般人(裁判官。原発経営者も?)が理解し「現実的な可能性」を認識しないうちは運転継続を容認するもので、これまで原発事業者や規制当局が“不十分ながらも”「最新の知見」を反映(バックフィット)させようとしてきた原発の安全対策の『根本思想(伊方判決)』を、完全に否定するものです。これで原発経営者は、今後、「最新の知見」が判明しても(部下から知らされても)、むしろ積極的に‘目をつむり耳を塞ぎ’、「現実的な可能性」は‘知らぬ存ぜぬ’だったと言い張れば刑事責任から逃れられますので、(規制当局から指摘されない限り)主体的に安全性向上に取り組まないことになりそうです。
 <2023.1.19記 仙台原子力問題研究グループI>