会報「鳴り砂」2022年11月20日号が発行されました

会報「鳴り砂」2-121号(通巻300号)2022.11.20
会報「鳴り砂」2-121号(通巻300号)別冊2022.11.20

●『鳴り砂』/踏みしめればキュウキュウとこたえる“鳴砂”でおおわれた美しい浜を人々は“鳴浜”と呼んだ。今この鳴浜に、女川原発の建設・運転が強行された。原発の下で永遠に声を奪われてしまった鳴砂の悲しいなき声が胸のうちにひびきつづける。

<一面論文です>
『鳴り砂』 通巻300号に寄せて 立教大学共生社会研究センター 平野 泉

「今度『鳴り砂』が300号なんです」
「おめでとうございます!」

…という会話を須田剛さんと交わしたのは、2022年10月8日、篠原弘典さんのご自宅でした。私は立教大学共生社会研究センターという、戦後住民運動・市民運動の資料を所蔵・公開する機関で働いています。篠原さん宅にある女川原発建設差止訴訟の関連資料をセンターに寄贈したいというお申し出を須田さんからいただいて、私は資料の現状確認のため仙台を訪れたのでした。
センターでは、伊方原発行政訴訟資料、巻原発住民投票関連資料などのほか、反原発運動のミニコミもいろいろと所蔵しており、『鳴り砂』も継続的にご寄贈いただいています。2012年、反原発運動で卒論を書こうとしている立教大学文学部史学科の上野裕也さんに、私がいちばんにおすすめしたのが『鳴り砂』でした。比較的バックナンバーがそろっていましたし、何より毎号内容が充実していて読み応えがあるからです。しかし論文を書くとなるとバックナンバーの抜けが気になります。そこで篠原さんに抜けている号の残部がないか問い合わせたところ、すぐにそろえてご寄贈くださいました。さらに、伊方の資料の中に篠原さんからのお手紙があったのを思い出し、公開してよいかお伺いしてみたところ、こちらも快くお許しくださったのです。その後上野さんは修士課程に進み、須田さん、篠原さんのお力を借りて女川の反原発運動をテーマとした修士論文も執筆しました。そのための聞き取り調査で宮城県を訪れた上野さんから「『風の会』の方が僕にくださるとおっしゃっている資料のセットと同じものを、センターにも寄贈できるそうですが、どうしますか?」と連絡があり、女川原発訴訟支援連絡会議発行の証言録などをまとめてご寄贈いただきました。上野さんの存在が、風の会とセンターのつながりを深めてくれたのです。
書庫にずらっと並ぶ資料を見るたび、その一点一点がたくさんの人々の活動と思考の産物であり、一生かかっても読めないほどの膨大な蓄積であることに圧倒されます。一方で、毎日郵便で届くミニコミはどこか手紙のようで、上野さんが「風の会」とセンターをつないでくれてからは『鳴り砂』にもひときわ親近感がわきました。そうなると「長く発行し続けてほしい」という気持ちも強くなるのです。しかし、今回『鳴り砂』のバックナンバーを読み返していて、第3号(1981年8月1日発行)に掲載された兵藤則雄さん(反原発遠田の会)の「鳴り砂とは….」という文章の最後の部分に胸を衝かれる思いがしました。

「鳴り砂が鳴らなくなったとき、それは汚染が進んだ証拠です。その時は、砂の代りに人がなく時なのかも知れません。」

東日本大震災と東電福島第一原発事故を経験しても、どんなにたくさんの人が泣いても、まだ反原発運動を続けなければならない日本。そのためのミニコミを市民が300号も、300号を超えても発行し続けねばらないというのは、決しておめでたいことではありません。私が須田さんの言葉にこたえて思わず「おめでとうございます!」と口にしてしまったのは、じつに軽率なことだったと、今は恥じ入るばかりです。
その後、女川原発建設差止訴訟資料については、センター運営委員会での検討を経てお引き受けすることが決まりました。センターにできるのは、宮城で原発の問題に取り組んで来たみなさんの思いと行動の結晶である貴重な資料と、原発について知りたい・原発を止めたい人とをつなぐことだけですので、とにかくできる限り多くの方に資料を利用していただけるよう努力したいと思います。
『鳴り砂』を300号作り続けてくださったこと、貴重な訴訟資料を託してくださったこと、そしてこれまでのご活動に、心から感謝いたします。

※宮城県立図書館の郷土資料室でも、女川原発訴訟支援連絡会議発行の『証言録』及び『鳴り砂』全バックナンバー閲覧可能です。 (空)