会報「鳴り砂」2023年3月20日号が発行されました

会報「鳴り砂」2-123号(通巻302号)2023.3.20
会報「鳴り砂」別冊2-123号(通巻302号)2023.3

(巻頭論文です)
震災から12年―私たちは福島原発事故を忘れていない
3.25集会を皮切りに、2024年女川原発再稼働ストップを実現しよう!!

2月28日、政府はエネルギー関連の五つの「改悪」法案(「原子力基本法」「再処理法」など)を「束ね法案」としてまとめて閣議決定し、国会に提出した。現在行われている国会で審議される。岸田政権が昨年来進めてきた「原発回帰」策が、ついに具体化に向け動きだそうとしている。
福島原発事故の教訓として導入された「原則40年、最長60年」とする現行の原発の運転期間について、規制委が所管する原子炉等規制法ではなく、経済産業省が所管する電気事業法で改めて規定。再稼働に向けた審査や司法判断などで停止した期間を運転年数から除外し、60年超の運転ができるようにするという。規制委での議論で石渡明委員は「審査を厳格にすればするほど、将来、より老朽化した炉を運転することになる」と反対を貫いたが、拙速にも政府の閣議決定に間に合うように規制委は多数決で決めてしまった。
一方、経済産業省は「GX実現に向けた基本方針についての説明・意見交換会」なるものを全国各地で開催したが、どの会場でも原発回帰策への怒りで紛糾した。仙台でも2月6日に行われたが、福島からの参加者から「福島の現実を知ればGXの名を借りた原発推進はあり得ない」など原発事故後の苦しみを切々と訴える発言や、原発コスト問題、またそもそも議事録が公開されるのか否かなど、厳しい声が次々とあがって、予定時間をはるかにオーバーする約5時間の応酬となった。にもかかわらず2月10日に早々とこの「GX実現に向けた基本方針」は閣議決定されたのである。3000を超えるパブコメや、この閣議決定後も続いた「説明・意見交換会」は一体何のためだったのか? 
政府は折に触れ「民主主義や法の支配、基本的人権の尊重などを価値観として共有する」とした「価値観外交」を標榜しているが、国内においてそれが全く形だけのハリボテであることが、またしても明らかになった。原発を問う闘いは、日本の民主主義を問う闘いの最前線にあるのだ。
そうした中、12年目の3.11を迎えた。原発を再稼働すれば電気代の高騰を抑えられるのではないかとの思いから再稼働やむなしという声もあるなかで、しかしながら、私たちは今も続く福島原発事故の被害を忘れることはできない。次に事故が起こって住民に被害が及ぶことがあれば、それは再稼働を許してしまった私たちの責任なのだ。
3月25日の「さようなら原発 宮城県民集会」を突破口に、2024年の女川原発2号機の再稼働を止める闘いを進めていこう。

○原発を動かしても電気代の高騰を抑えることはできない

 「河北新報」の世論調査(2.12)で、女川原発2号機の再稼働に関し、賛成が53.2%と反対の46.7%を上回り、2017年以来初めて賛否が逆転したという報道があった。「原発再稼働で電気代を早く抑えてほしいという声が出ている」とかねてから発言していた村井知事は、我が意を得たりと「原発再稼働への県民の理解が深まっていることは望ましいことだ」と早速反応した。
 しかし、冷静に見ると、この間の電気代の高騰と原発の稼働はほとんど関係がない。むしろ、実際には原発の方が高くつくことになるのだ。
 この間の電気代の高騰の原因は、石油価格と天然ガスの価格がどちらも高騰しているからといわれる(なぜ石油価格が関係あるかといえば、LNG(天然ガス)の長期契約は3か月分の原油価格をベースに変動する仕組みだからだ)。その高騰の最大の原因は、いわずとしれたウクライナ戦争だ。さらに日本の場合、急激な円安のため、さらに打撃が大きい。従って、電気代を抑えるために必要なことは、①戦争の終結、②円安の是正、③エネルギー原料を輸入依存から国産に変更、の3つである。
 東北電力は、再稼働によって卸電力からの調達費を浮かせて値上げ幅を4.54%抑制したとしているが、申請した家庭向け規制料金の値上げ幅は33%であり、「焼け石に水」でしかない。何より原発の会計はブラックボックスであり、今も負担が続く福島原発事故の賠償や、核のごみの最終費用などが、会計に反映されていないのである。
 国が2021年に公表した新設の発電施設のコスト試算でさえ、原発の発電コストは太陽光発電のコストを上回っている。既存原発の再稼働の場合は、このコストがさらに上昇する。女川原発2号機の場合も、安全対策工事費に5700億円、特重施設(テロ対策施設)に1400億円と巨額の予算が計上されている。さらに、震災以降1ワットも発電していないにもかかわらず、原子力発電費(2011~2021年度)の合計は1兆609億円にものぼっているのだ。これが原発の原価に含まれているのか疑問だ。
 さらに、電力会社ではなく国が負担する電源三法交付金など(今後はさらにGXの名の下に政府が巨額の支援をすることが予想される)を加味すれば、国民が電気代や税金で負担する実際の原発の電気代は、相当高いものになるのは必至だ。そのからくりを見破り、「電気代を抑えるために原発を」というフェイク広告を打ち破っていこう。

○福島原発事故は終わっていない

 今でも福島県外に避難している人は3万人ともいわれているが、問題はその数ばかりではない。最大の問題はコミュニティの喪失と、続く健康被害への不安だ。津波の被害を受けた他の地域でも過疎が進み、コミュニティの維持は困難に直面しているところは少なくない。しかし、帰還困難区域がひろがる双葉町・大熊町・浪江町などは、そもそもなりわいが成り立たない。政府や福島県などは懸命に「帰還政策」を進めるが、現実に「普通の町」に戻るのは困難だ。このことこそが「原発・放射能事故」が他の災害と大きく異なる点だ。
 また、甲状腺ガンに罹患した福島の子どもたちは、分かっているだけで300人を超え、そのうち6人が東京電力に賠償を求めている裁判も22年5月から始まっている。ガンだけでなく、なんらかの健康被害があったとき、「放射能のせいでは?」と思ってしまうこともあるのではないか。
 こうしたコミュニティの喪失や健康被害への不安が、今でも福島の当事者を苦しめ続けており、それはいくら賠償金をもらったとしても、解決するものではない。少なくとも言えることは、その傷を癒やすためにも、事故の責任の所在を明らかにさせることが必須だということだ。
 昨年の裁判では、東電幹部の責任を認める判決(株主代表訴訟)がでる一方、東電幹部の責任を認めない(東電刑事裁判控訴審)ものや、また国の責任を認めない(最高裁)判決も出されている。一体、12年前に叫ばれた「安全神話の崩壊」とは何だったのか? 「安全神話」は、国や電力会社が流布してきたものではなかったのか? 「津波の予見性」のあるなしに関わらず(もちろん予見はあったのだが)、「日本ではチェルノブイリ原発事故のような過酷事故は起こらない」としてきた国や電力会社が行うべきは、その責任をとって脱原発に舵を切ることであり、実際この間は少なくとも表向きは「原発依存の低減」と政府自身も言ってきたのである。
 コミュニティを失い、それまでの暮らしを一変させざるを得ない人々に寄り添う方法は、単にお金ではない。そうではなく、事故を生み出してしまった国の政策を真に反省して改めること、そして避難せざるを得なかった人々の声を聞き続けることだ。現在これだけ多くの裁判が起こされているということは、それが全く不十分であることを如実に示している。
そして私たち東北の民も、12年前の悔しさ・怒りを忘れることなく、政府・電力会社にその姿勢を正すように突きつけ続けなければならない。いまこそ、中央権力から白河以北一山百文とさげすまれてきた東北の、奥底に秘められたプライドを見せようではないか。

○2024年2月再稼働を止める闘いを

 2月の宮城県議会では、何人もの「脱原発をめざす宮城県議の会」の議員が、再稼働に反対する立場から、県の姿勢を問いただす質問を相次いで行なった。また、3月25日の県民集会では、福島原発の廃炉の過程で生み出された汚染水を海に流すという政府方針に断固反対する福島現地の方や、女川原発再稼働差し止め裁判の原告などが発言される予定だ。こうした議会の内外を貫く再稼働反対の巨大なうねりを、今年1年かけて作り出していかなければならない。
 現在、女川原発について大きな問題になっているのは、①昨年発覚した1号機の天井クレーン台座のひび割れ問題、②2号機の安全対策工事の実情、とりわけサプレッションチェンバの耐震補強工事の行方、③裁判の争点ともなっている避難計画の実効性のなさ、④そもそも同じマークⅠである福島原発事故の様々な原因、とりわけ水素爆発がどこで起こったのかなどが未だ不明であること、⑤女川原発の工事で多発する事故・トラブル(死亡事故含む)、⑥有毒ガス防護問題などなどであり、それらを検討するための専門家による恒常的な安全性検討会がどうしても必要である。
 何度も基準地震動を超える地震で被災した原発を動かしていいのか、それを60年も、あるいはそれ以上も酷使するのか? 私たちは改めて問いたい。12年前、原発はもうこりごりだと思った日々を思い返そう。放射能の不安のない、自然とともに暮らせる社会をみんなの手で作り出していこう。
(事務局 舘脇)